昭和47年
4月29日・30曰
大阪市立大学医学部第一臨床講堂で開催された第18回日本鍼灸学会学術総会において、第20回日本鍼灸学会学術総会開催地は愛知と決定し、愛知地方会設立要請があり、準備委員長に黒野保三常任理事が就任した。
黒野保三常任理事は帰名後ただちに名古屋大学医学部高木健太郎教授に報告し、ついで二葉清友会(昭和42年より東洋医学研究所で毎月第一、第三日曜日に行っていた黒野保三常任理事主宰の講習会名)講師であった名古屋市医師会吉田誠三会長と、同じく講師であった森内科医院森一彦院長に相談し、愛知地方会設立と第20回日本鍼灸学会学術総会開催について意見調整を行った(これを契機に始動した黒野保三常任理事の20代から秘め貯えてきた鍼灸医学の発展に賭けるほとばしるような情熱と、その理想に向かっての骨肉を惜しまぬ精力的な行動力が、愛知地方会の30年のあゆみの原動力となったと言っても過言ではない。)。
5月30曰
名古屋大学医学部高木健太郎教授、名古屋市医師会吉田誠三会長、森内科医院森一彦院長、日本鍼灸学会黒野保三常任理事の4名にて「河文」において愛知地方会設立についての会談を行うと共に、第20回日本鍼灸学会学術総会を愛知地方会で開催することを契機に日本鍼灸学会を真の鍼灸医学の学術団体にして行くことが申し合わされた。その内容は①過去、京都、大阪の各大学医学部の階段教室で行われていた学術総会を2,000名収容できる会場で開催できる学会に発展させること。そのモデルケースとして第20回日本鍼灸学会学術総会を名古屋大学豊田講堂(定員2,000名)を会場とする。②中国医師団を招聘し、シンポジウム、特別講演を行うこと。③医学者に入会を求め、鍼灸師と医学者の協力により、鍼灸医学の基礎的研究、臨床的研究を推し進める。④医師と鍼灸師による東西両医学協調の診療体系を作って行く等々で、熱気ある会談が行われた。これが今日まで歩んできた愛知地方会の基本方針となっている。
その後、黒野保三準備委員長は、(社)全国病院理学療法協会中部会宇佐美男惇会長、愛知県鍼灸按師会連盟朝倉金三会長、中和理療学校大島福造校長、名古屋鍼灸学校同窓会加賀弘行会長に協力を求めると共に、日本鍼灸学会熊崎勝馬常任理事をはじめとする設立準備委員の協力により鋭意設立準備を進めていった。
6月
京都で開催された昭和47年度第1回日本鍼灸学会常任理事会において愛知地方会の設立が承認された。愛知地方会会長に名古屋市立大学医学部堀田健教授を黒野保三常任理事が推薦したところ、日本鍼灸学会加藤幹夫会長より堀田健教授を顧問とし、黒野保三常任理事が会長となるよう意見が出され、黒野保三常任理事と加藤幹夫会長とで意見交換がなされたが、結論が出ず継続審議となった。
8月20曰
浜松市民会館での昭和47年度第2回日本鍼灸学会常任理事会において地方会長を名古屋市立大学医学部堀田健教授とすることが審議されたが、加藤幹夫会長の反対により記名投票となった結果、賛成多数で提案通り決議された。
その後電話にて再三再四加藤幹夫会長より堀田健教授を顧問とし黒野保三常任理事が会長となるよう要請があったが、黒野保三常任理事は常任理事会の決議に従うことを主張した。加藤幹夫会長から愛知地方会の設立も認めず発会式にも出席しないことが通達された。高木健太郎学長、名古屋医師会吉田誠三会長との相談の結果、発会式は昭和47年10月1日に予定通り行うことになった。
急遽9月30日に加藤幹夫会長から10月1日の発会式に出席するという連絡があった。
朝日新聞 昭和47年(1997年)8月20日(日)に掲載された
愛知地方会発会のニュース
10月1曰
日本鍼灸学会愛知地方会発会式が名古屋市立大学病院5階大ホールにおいて行われた(会長:名古屋市立大学医学部堀田健教授、事務局:東洋医学研究所)。
日本鍼灸学会愛知地方会発会式
日 時:昭和47年10月1日(第1日曜)午後1時半より
会 場:名古屋市立大学病院5階大ホール
出席者:183名
司 会:名古屋大学医学部文部技官 奥田冨男 先生
開会の辞:名古屋鍼灸学校同窓会会長 加賀弘行 先生
日本鍼灸学会愛知地方会が本日ここに設立のはこびとなりましたことは、誠に喜ばしいことであります。
鍼灸の科学化が関係識者の間で叫ばれはじめて久しい年月がたっております。長い伝統と歴史の中に培かわれ、めざましい治効を誇り、民衆の中に生まれ、民衆と共に歩んできた鍼灸が経験施術であるという理由のもとに医学の別道として冷遇されてまいりました。経験だけでは科学ではないからであります。基礎も臨床もその治効は総べて実験の過程をへて実証され体系づけられてこそ真の科学といえるのであります。
その意味では経験的要素の多い鍼灸が立派に大成し、学問的な体系を確立する日はまだまだ先の事であろうと思われます。鍼灸科学建設への道は険しくともこれはわれわれに負わされた「至上の命題」であり果たさなければならない責任なのであります。
任重く道遠しといえども限りなく愛する東洋医術、鍼灸の科学化を最高の目標として、茨の道をひたむきに精進されることを心より祈り、開会の挨拶といたします。
地方会設立までの経過報告
日本鍼灸学会常任理事 黒 野 保 三 先生
経過報告を簡単に説明させて頂きます。
去る4月29日、30日大阪において、日本鍼灸学会学術大会が行われました。その大会に出席致しましたところ、はからずも加藤幹夫会長より愛知に地方会を設立してほしいといわれ、私は困惑致しました。
何の考えもなく名古屋に帰りました。ところが大阪、東京、静岡各地方会の方々から勇気付けられ意を決したのであります。同じ会を設立するならば、できる限り巾広く、内容のある会にしたいと思い、一方では西洋医学の大学教授や医師、学生、一方では鍼灸学校職員・鍼灸師から学生まで巾広くし、ともに日本鍼灸学会を通じて交流したならば、内容も良くなり、お互いの利益を考え、日頃私の面倒をよく見て下さる名古屋大学医学部生理学教授高木健太郎先生の門をたたいたのであります。高木健太郎先生は、非常にあたたかい目で私の話をお聞き下さいまして心よく相談に乗って下さいました。
高木健太郎先生(名古屋大学医学部教授)、吉田誠三先生(名古屋市医師会会長)、森一彦先生(内科医)、私とで相談会を開きました。高木健太郎先生より、現在の医療のあり方、今後進むべき方向など色々とお話を聞かせて頂きました。お話の中で「人の体を治療するのに西洋、東洋の区別はない、医療は一体である」といわれました。私達はこのお言葉にそむかないよう学問はもとより、色々なことを学び姿勢を正して進まなければならないのであります。
各会の役員の方々のご協力を得て、有志とともに発起人会を設立致しました。
京都で開かれました昭和47年度第1回日本鍼灸学会常任理事会に報告し、愛知地方会設立の承認を得たのであります。日本鍼灸学会の地方会長は本部の任命になっておりますので、高木健太郎先生にお願いして名古屋市立大学第一生理学教室教授堀田健先生を紹介して頂き発起人会の承認を得て、堀田健先生をお迎えしたのであります。
浜松にて開かれました第2回日本鍼灸学会常任理事会に堀田健先生を推薦し、常任理事会の承認を得たのであります。
その後は、堀田健先生を中心に今日まで着々と準備を進めてまいりました。その間数回にわたり準備会を開き発会式の日程、規約案(この規約案は、日本鍼灸学会本部規約、大阪地方会規約、日本生理学会規約、全国病院理学療法協会規約、名整技友会規約を参考にし、また簡単にしたものであります。)等を作成して今日の発会式まで進んでまいりました。今後は、会員の皆様方の手でより良い学会に育てて頂きたいと存じます。どうかご支援ご鞭撻賜り
ますようお願い申し上げます。
最後に加藤幹夫会長、大阪地方会、静岡地方会、東京地方会の役員の皆様と、地元各会の役員の方々に絶大なるご支援を賜りましたこと、高座ではございますが謹んでお礼申し上げます。簡単ではございますが、設立準備報告を終わらせて頂きます。
地方会設立までの経過報告をする黒野保三常任理事
本部会長挨拶
日本鍼灸学会会長 加 藤 幹 夫 先生
日本鍼灸学会は日本の鍼灸を勉強する場であります。愛知においては、この学会が本日、地方会として発足致しました。このときにあたり、少し本学会の歴史を述べてみたいと思います。
この学会はもともと京都・大阪の鍼灸師があつまって治療経験や効果を披露する会として明治初年からはじめられたものでありますが、これを鍼灸師の間だけでなく、科学的に研究し、よりよい治療を行う場にしようということから、当時京都大学医学部教授をしておられた石川日出鶴丸先生のご指導を仰ぐことになったわけであります。石川先生もはじめは乗気ではありませんでしたが鍼灸師の方々の熱心さにおされ、自ら研究を手がけられ、のちに三重医大学長となられてからも研究と治療を推進され、貴重な業績を多く残されました。終戦とともにやってきた米軍占領軍によって鍼灸は葬り去られようとした危機がありましたが、石川先生の身を挺しての熱心な説得によってその存続が認められるといういきさつもありました。
石川先生が亡くなられてから鍼灸師の要請によって石川先生の弟子であった笹川久吾先生が後を継がれることになったが、そのとき先生は会則を定め、学会として正式に日本鍼灸学会を発足させることを実行されました。以来、笹川先生は鍼灸をサイエンスとしてレベルアップすること、および鍼灸師の質の向上に努力されました。京都大学において医師・鍼灸師が一堂に会して行う談話会をはじめられたが、これは現在もつづいております。その間、日本鍼灸治療学会、良導絡学会が設立され、それぞれの面で鍼灸の研究・実践に役割を果しております。
笹川先生が急逝され、私が会長をひきついでから5年になります。この間、鍼灸師の学問的レベルを医師のそれまでもっていく努力をし続けてまいりました。現在のところ、日本の鍼灸はまだ一段の努力がいるようです。
本日本会常任理事黒野保三先生のご尽力によりここに強力な愛知地方会の発足をみたことはこのような面で非常に喜ばしいことであります。会員の方々は医師との対話や鍼麻酔の実施なども恐れることなく、日本の鍼灸のために一層の努力をされますよう祈ります。私も時々愛知地方会にきて、充分なお手伝いをしたいと考えております。
会長挨拶
名古屋市立大学教授 堀 田 健 先生
当地の鍼灸師・医師ならびに研究者多数の参加を得て、本日ここに日本鍼灸学会愛知地方会が発足しました。このために献身的な努力をされた世話人の人達と共に、私もよろこびを分かち合いたいと思います。本会の発足によって当地における東洋医学に関心を持つ人々すべてのための共通の場ができたことになり、本会と共に東洋医学の飛躍的発展が期待されます。
東洋医学的治療は古く中国より伝えられ、わが国で生まれた独特の技術と相まって広く用いられてきましたが、明治以来は西洋医学におされ、現在ではオーソドックスな療法とは認められていない状況です。東洋医学は科学としての基盤は極めて薄いからでありましょう。西洋医学はこの点実証的で、科学としての形態をそなえております。
西洋医学から東洋医学が学ぶべき点は多くあり、また東洋医学は漢方治療および鍼麻酔の技術は世界の人々にその価値を認識させるに充分なものを持っております。そこで東西両医学が交流を深め東洋医学を科学としての基礎研究をゆるがせにしてはなりません。人体の構造と機能の完全な理解の上にたった治療は理想であります。
私は神経筋肉の生理を研究している一学者にすぎませんが、はからずも本会の会長におされましたからには私の専攻を通して出来る限り東洋医学の科学としての基礎づくりに貢献したいと考えております。この学問の発展には医学者、薬学者、実際家、自然科学者の協力が必要で、会員の方々のために“研究と治療”の接点としての役割を果したいと考えています。近い将来に病院を含む東洋医学のための研究施設をつくり、センター的な役割を果す場を実現させたいと思っております。
終わりにのぞみ高木健太郎、吉田誠三、大島福造各先生には、会の発足にあたり有益なご指導ご助言を賜り厚く御礼申し上げると共に本会の顧問として今後のご指導をお願い申し上げます。
実行委員長挨拶
名古屋市立大学長 高 木 健 太 郎 先生
今日ここに日本鍼灸学会の地方会ができましたことを心からお喜び申し上げます。
日本鍼灸学会は加藤先生からお話がありましたように非常に古くからあるわけで、関西・関東ではかなり活発な活動をしております。われわれ神経生理学者の中で鍼灸に興味をもって研究している人々も多々あります。名古屋地方では鍼灸家を中心とした会は多くありますが、いわゆる大学等で鍼灸の方々と一緒になってやろうという会は具体的にございません。それが本日ここにできましたことは、この方面の進歩に非常に大きく寄与するものと期待致します。
先程、堀田健先生からもお話がございましたように、鍼灸は確かに効く、効くけれども科学的な根拠がないということでさらに大きな進歩が期待出来なかったということであると思います。
西洋医学はともすれば科学、研究を先にして人間を忘れた医学だと思われるように悪い面もあるようです。その点鍼灸はあくまでも人間を中心とした人間の上に立った医学で、本日まで続けられてきたのであります。この精神を忘れずに人間の医学ということを考えて行きたいと思います。
どうか皆様方も今日のこの良き日を忘れないよう鍼灸がより以上発展するよう研鑽して頂きたい。田中総理もに中国から帰られ日中正常化もなり、中国からも多くの人々がこられ、またわれわれの方からも中国へ行くことが多くなってくると思います。アメリカでも政府の命で学者が中国に渡り現地で研究をすることが認められ、またナショナルコミティーを作り正式に乗り出してきたということです。
日本における鍼灸がまだ学者・医者の間で一般に認められていないということは残念でございますが、これはあたりまえのことでして、われわれ自身が日本の鍼灸というものをさらに発展させていく原動力になりたいということを考えております。
一段のご努力をお願い致したいと思います。
来賓祝辞
1. 愛知県知事 (代読 衛生部医務課長 小木曽 新先生)
本日、ここに多数の実務家と熱心な研究者により日本鍼灸学会愛知地方会が設立されるにあたりまして一言お祝のことばを申し上げます。
今日生活水準の向上と医学の進歩により県民の平均寿命は70才を越え伝染病をはじめ多くの難病が克服されてきております。しかし他方、明治以来能率と技術を追及してきた私どもは、いまそれが産み出した公害等の矛盾に当面しているのでありまして、クスリや手術に頼る考え方から、その濫用や副作用を反省する時期に至っているのであります。
そしてこのことは、このごろの鍼、灸、漢方薬などに対する関心の高まりとなって現れているようにも思うのでありますが、とくに最近の中国におけるハリ麻酔の劇的な成功は皆様方に対する県民の大きな期待につながっているのではないかと思うのであります。
時恰かも日中国交樹立の秋にあたり、長年の経験の蓄積の上に信念をもって着実に研究を進めてこられました皆様が、いま地方会を発足されますことは、誠に意義深いことと存じます。
この会が大きく発展して、豊かな研究の成果によって県民の期待に応え、その福祉の向上に寄与されることを祈願してお祝いのことばといたします。
昭和47年10月1日 愛知県知事 桑 原 幹 根
2.名古屋市長 (代読 衛生局予防課長 西谷 強先生)
一言お祝いのご挨拶を申し上げます。日本鍼灸学会愛知地方会がかくも盛大に開催されたことに対し心からお祝い申し上げる次第でございます。鍼灸術が我が国において行われるようになったのは古く推古天皇の御代に唐の医方が渡ってからといわれ、その後盛衰を繰り返し江戸時代において広く行われるようになったといわれております。明治以後の日本の医学は江戸末期まで正統医学として受け継がれてきました漢方医学にかえて西欧医学をとり入れて発展してきたのでありますが、この間におきましても漢方医学は民衆の中で脈々と流れ、その結果今日の医学の治療分野においてその価値を見るに至ったと存ずる次第でございます。近時生活環境が複雑多岐にわたるにつれて、疾病構造も従来に比べて大きな変貌を遂げ、治療方法も新しい高度の技術を要求されている現状でございます。
このような時、中国におきましては鍼灸術による大小の手術の臨床例が多数報告され、肺切除や脳外科の大手術にも応用されていると聞いております。
このように鍼灸学の価値が高まりつつあるときに本会の結成をみるに至りましたことは、誠に時宜をえたこととご同慶に堪えません。同時にこれまでご尽力されました役員ならびに関係各位のご心労に対し心より敬意を表する次第でございます。医学の分野は医療保障制度ならびに医療機構等を始め種々の問題を含んでおりますが、日本鍼灸学会愛知地方会がこれら困難な問題をのりこえ西洋医学と漢方医学の結合により鍼灸の科学的研究を推進されますよう心から切望する次第でございます。ここにあらためて、日本鍼灸学会愛知地方会の設立総会をお祝い致しますと共に本会のご隆盛を祈念致し、はなはだ粗辞ではございますが、私のお祝いのごあいさつと致します。
昭和47年10月1日 名古屋市長 杉 戸 清
3.愛知県鍼灸按師会連盟会長 朝 倉 金 三 先生
医業類似行為より脱皮して医行為になるべきであり、専門の教育機関設立に努力をおしまない等の主旨に基づいて祝辞を述べられた。
4.日本鍼灸学会地方会会長 代表 大阪地方会会長 松 田 親 二 先生
中国の鍼麻酔がブームになっているが、鍼の技術は日本の方がはるかに上であるのであまり驚くことはない。日本の鍼灸治療に誇りを持つことが大切との祝辞を述べられた。
設立実行委員長の名古屋市立大学長高木健太郎先生の音頭による万歳三唱
閉会の辞
日本鍼灸学会常任理事 黒 野 保 三 先生
午後3時15分頃終了 以上
講演会
発会式に引き続き午後3時25分頃より開催す
司 会:森医院 院長 森 一 彦 先生
講 演:
1.自律神経の形態的観察 愛知医科大学助教授 市原 一郎 先生
2.つぼの考え方 名古屋市立大学学長 高木健太郎 先生
祝 辞 日本中国友好協会(正統)愛知県本部代表 伊藤 清司 先生
映 画 (16ミリカラー)
最新のハリ治療を中心にした中国医療の実際について
・日本鍼灸学会常任理事浜崎正先生より10月14.15日の両日東京で開催の第19回日本鍼灸学会および東京地方会発会式の説明あり。
閉会の辞 日本鍼灸学会常任理事 熊崎 勝馬 先生
午後5時30分終了
注) この講演会を第1回とし、以来30年間、愛知地方会では毎月第一日曜日の午後1時から5時まで名古屋市立大学第一臨床講義室を会場に定例講習会を開催し、平成15年(2003年)6月29日で206回を数える。
懇親会講演会終了後、本日の発会式を記念して懇親会を桜山・千古の岩で午後6時より開催、本部加藤会長以下各常任理事の先生方、また発会をおえた愛知地方会会長、地方会設立に尽力していただいた名古屋市立大学長高木先生、前名古屋市医師会長吉田先生、特別講演の講師の先生、本日発会式の世話をしてくださいました会員、または一般会員をはじめとして隠し芸等を披露して和気藹々のうち時間のくるのも忘れて盛会裡に終了した。
午後8時終了
(日本鍼灸医学会報より転載)
11月27日~12月6曰
名古屋市立大学高木健太郎学長が日中友好国民協議会訪中団の一員として訪中し、中華医学会(北京)代表の郭興国先生と学者交流、文献交換について話し合い、中国医師団の訪日の確約をして帰名。